ものづくり

伝統工芸士インタビュー│意匠・製織部門│松尾 信好

2018/07/23

 

50年以上やっても、未だに自分で満足するものはできないですよ。

——ご出身はどちらですか?

大分の日田市ゆうとこでね、昭和21年生まれです。中学を卒業して、当時は集団就職ゆうのがあって、それで大阪にいったんよね。そこでロッカーを作る仕事をしとったんやけど、昭和38年に九州に戻って西村織物に入ることになって。そっから3年は修行やね、そん時のお給料は1000円やったよ。教えてもらう立場やけん、ただお小遣いをもらうだけ。3年間はその丁稚奉公をして、そのあと1年また織りの修行やね。4年して、やっとある程度のお給料をもらえる。そういう時代やったと。あなたたちはまだ生まれる前やけんね。

——そこから50年以上博多織一筋で来られていますが、はじめからこの仕事を一生続けたいと思っていたんですか?

そうやね。ある程度織れるようになったら、今度は自分で考えて作りたいなと思って。意匠の人がしよることを、教えてもらうんじゃなくて、見て盗むわけよね。人の仕事しよるのをみて覚えるっちゅうことよ。その頃教えてくれる人なんておらんからね。それで今までずっと来てるね。だけど未だに、自分で満足するものはできないですよ。きりがないよ。もう何十年やってるけど、また新しいものを作らないかん。これでストップちゅうことはないけん。

——色々な工程がありますが、どの段階が一番楽しいですか?

楽しいのは、出来上がった時の商品を見て、「あぁできた」と思うのが一番。でもそれが満足するような帯じゃない時も大いにあるたいね。セールス(営業)の人がおるけ、売れたゆうて聞いた時は嬉しいわね。それが楽しみやね。よかったっちゃね、という感じ。自分でいいねと思っても、売れんやったら何もならんしね。売れてやっと、満足感が出る。自分でしたばってん、やっぱり満足せんこともあるし、他の業界でもそうやないと?やけん終わりがないわけよ。

 

夜寝とったら、夢の中で作りたかった帯ができるんよ。

——若い人に教える時はどんなことを考えておられますか?

自分たちは教えられて覚えたわけやないしね。ヒントを与えてやるって感じやね。実際、言うてその通りにしたって、それしかないでしょ。それ以上はその人が考えないかんから。だから、若い人にも自分がしよることを見て覚えてもらうほうが早い。何の職人でもそうと思うよ。聞くよりも自分でやる。失敗した時に、「どげしたらええやろか?」って聞きに来たら、こうよって指示はする。作り方を書いて、それを覚えてその通りに作れって、それはできないわ。自分で考えて、編み出していかな。

——新しい帯を作る時は、頭の中でまずイメージを形作って、それを実際に帯にするにはどうしたらいいだろう、と考えるのですか?

そうやね。今はほらパソコンとか色々あるから、図柄のところはパソコンである程度できるわね。だけど、糸の組み方や絡み合ってどうなるかちゅうことは教えてくれんわね。平面にしかならんから、どう組むかっていうことが難しい。糸の組み方っていうのは、種類は3つしかないわけ。「平」と「綾」と「繻子」、その3つを組み合わせたら全然違う織物ができる。ひとつの帯の中に、ここは綾、ここは繻子って織っていって、それが重なって変な風に糸がなったらおもしろいよねって考えていく。

——重ねてみて、仕上がりが変になるか良くなるかは、やってみないとわからないものですか?

わからない。組み合わせは無限にあるからね。色んな組ませ方で作っていくわけ。企画から意匠に入って、一緒に組ませ方を考えていく。図柄と組織を見て、糸を仕掛けていくのよ。

——松尾さんのように意匠と製織を両方される人は多いんですか?

男の人は全部できないかんわね。私はものを考えて、機械にかけて織る。仕掛けもやる、仕掛けをせんと機械にかけて織られんからね。まず意匠部門でとって、製織部門の伝統工芸士もとったからね。両方とってるのは博多織の中でも二人しかおらん。私は整経はやってないけど、そういうなんも全部する全部門てのがあって、それをとった人が一人おる。

——仕事をしていて、大変だとか、辞めたいと思ったことはありますか?

しんどいはしんどいよ。だけど、自分が生きる道はこれしかないな、と。友達でもあちこち仕事変わる人もいるでしょ。それはできなかったね。行き詰まっても、なんとかやっていこうって。好きなんやね。いつもこういうなんを作ろうって、一生懸命考えるじゃない。夜寝とったら夢の中で出来るんよ、それが。それで次の日その通り作ったら出来るんよ。ふしぎよ自分でも。皆信じんやろうばってん、そういうことがあるよ。夢みるゆうのは年とってきてからよね。やけ、やっぱ、この道しかないなぁと思う。

 

もう来んでいいよと言われるまでは来させてください、って社長にも言うとる。

——今72歳ということですが、何歳になっても織り続けたいとお考えですか?

まぁね。社長にも言うとることやけど、「もうあんた来んでいいよ」って言われたら来んばってん、言われん限りは来させてくださいってね。会社やめてもたまには機織りの音をききに来たいからね、邪魔やろばってん、たまにでいいし来ていいですかって。他にすることがないから。五十数年ずっとこればっかりしてるからね。

——これからの西村織物に望むことは?

今の社長も若いからね。私は前社長の時から、恩もあるから。50年、100年と続くようがんばってもらいたいね。日本の民族衣装やから、着物って。それがある限りは帯も必要やし。日本の文化は大切にしていきたいなとは自分では思ってますよ。最近ほら、小学生が卒業式で羽織袴、流行ってきよるでしょう。いいことやねと思った。昔は短大生とかだけやったけど、こないだ小学生でそういうのがあったから、たいしたもんやね。和服というものが見直されればいいなとつくづくそう思った、テレビ見て。

——後輩たちに対して、もっとこうしたらいいのにと思うことはありますか?

そういう偉そうなことは言えないわ。まぁ自分たちの時代と今の人ってやっぱ違うからね。今の人なりに覚えていけばね、ある程度のことすれば、次のことを考えられるしね。

 

機械も人間と一緒。ちゃんと面倒を見てやればきれいに動いてくれる。

——自分のからだに染み込ませていくしかないんですね。

それよ。だから機織りさんに言うのも、「機械は動くだけや。職人は動かすだけや。それを動かして、自分のからだで覚えなさい」って。織りよるところに手を当てとったら、緯糸が1本切れとるとかわかるわけよ。からだが覚えよるから。そのくらいにならんといかんって言うとる。織りながら経糸の張力の強さも全部わかるのよ。ちょっと触ったら、これ張りすぎとか、もうちょっとピンと張らなあかんとか。それを覚えなさいって言う。そうするときれいに織れるわけ。でもなかなかそこまでいかないね、今の人は。ただ動かして織るだけ。機織りのガシャガシャゆう音でも、どっか悪くなると音が変わるわね。そういうのも、自然に気が付かなあかんわけよね。自分としてはそういう考え方。

——織機がからだの一部のようになってくるんですね。

機械も生きてるわね、本当言ったらね。きれいに動いてくれる時もあれば、機嫌が悪かったら動かんやない。人間と一緒ですよ。だからちゃんと面倒を見てやれば、機械も自ずと動いてくれる。そう思うよ。今の若い人って、やっぱそこまで考えてないからね。油さしなさいって言うても、ささんでいいとこにさしたりするわね。そうすると滑ってしまう。機械はかわいがってやれば、覚えてくれるよ。人間でもほめてやれば言うこと聞いてくれるやろ。ただ物を言わんだけ。たまにはキーキー言うばってんね。人間と一緒よ。

意匠・製織部門伝統工芸士 松尾 信好
昭和21年、大分生まれ。集団就職で大阪の製造業を経験し、17歳で西村織物に入社。3年間の修行を経て製織を始め、意匠も自ら学んで手がけるように。50年以上作り続けても、できあがった帯に満足したことはまだ一度もないと言う。夏物の「紗」「羅」を得意とする。

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