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松尾信好

伝統工芸士インタビュー

夢のなかでも、織りを続けて60年

意匠・織手 松尾 信好

17歳で博多織の道に入り、約60年の月日を重ねてなお、織物への情熱はおとろえ知らず。夢のなかでも手を動かし、まだ出会ったことのない織り方を探し続けています。意匠から仕掛け、製織までを手がける、現役でいて最前線を走り続ける職人です。

松尾信好
松尾信好

織機の音を子守唄に、
子どもたちを育てた

大分県の日田生まれです。最初の仕事はロッカーを組み立てる製造業。中学校を卒業した後、集団就職で大阪に行ってね。それから17歳の時に九州に帰ってきました。ちょうど博多駅が今の場所に開業した年、昭和38年やったかな。その頃、博多織の業界はすごく景気が良くってね。同郷の先輩がある織屋さんを紹介してくれて、住み込みで修行見習いをさせてもらいました。いわゆる丁稚奉公やね。

見習いがもらえる小遣いは月に1000円。今のお金で換算したら1万円くらいでしょうか。床屋さんに行って、映画を見たら、あとちょこっと手元に残っている。そんな感じやったね。今の人は最初からお給料がもらえるでしょう。うらやましいねえ(笑)。見習いの修行は3年でした。そのあと1年間、織りの修行もして、4年目からある程度お給料をもらえるようになったかな。

同じ博多織の工場で働いていた妻と社内恋愛で結婚したんやけど、子どもが生まれてからは夫婦子連れで出勤をしていたね。子どもは織機の横にベビーベッドを置いて寝かせておくんですよ。ガッシャンガッシャン織機の音が子守唄になっていたんでしょう。お昼休みに織機が止まってシーンと静かになると、不思議と子どもが泣き出したね。

先代の社長に世話してもらい、夫婦そろって西村織物に来たのは平成6年のこと。ちょうど30年前やね。妻もずーっと現役だから、今でも毎朝、一緒に通勤していますよ。

いい職人は、
仕事を好きだと思える

西村織物ではね、男の職人は何でもできんといかん。織りや仕掛けはもちろんだし、紋紙の設置や織機の保全とか、力のいる仕事は男の職人の仕事になっています。私の場合は図案も考えて、それを帯に落とし込む意匠もする。紋紙(ジャガード織機に設置する型紙のようなもの)も自分で作っています。

この年になっても変わらず全ての仕事をしているけど、手とり足とり教えてもらったことはないねえ。昔のことだから、先輩の仕事をじーっと見て、自分で覚えていく。分からん時は、休みの日も工場に出てきて、コツコツ試し織りをしていたねえ。手探りの状態で織ってみて「あ、こげんしてできとるとか(こうやってできているのか)」とやっと分かる。今の時代やったら信じられんよね。

ただ、時代は変わっても、博多織の職人でいるなら、やっぱりこの仕事を好きだと思えることが一番やね。好きだから自分で仕事を覚えたいし、うまく織りたいという気持ちが出てくるはず。ああしろこうしろと言われた通りにするだけじゃあ、覚えられないし、大変でしょう。それもあって織ることが好きで、あれこれ考えて工夫している職人は応援したくなるんですよね。「こんなふうに帯を織りたいけれど、どうすればいいと思いますか?」と質問されたら、いくらでも教えさせてもらいます。

松尾信好
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老眼になっても、
感覚だけで糸を操れる

その点、私はこの仕事が好きなんやろね。新作は何にしようか、どうやって糸を織ろうか、いつも一生懸命に考えとるじゃない。

夜、寝ていたら、夢のなかで手を動かして、新しい織り方を編み出している日もあるんですよ。次の日、その通りにやってみると本当に織れてしまう。自分でも不思議なんやけどね、そういうことが起こります。みんな信じないかもしれんけど。そんな夢を見出したのは年を取ってから。だから自分は、やっぱりこの道しかなかったと思う。

仕掛けをつくるときもそうよ。小さな穴に一本一本絹糸を通していくんやけど、正直、目はもう見えてない。立派な老眼やけんね。60年間続けてきた感覚だけで糸を通しています。それでも間違えたりはしないし、間違えたとしても気がつけます。

織りには感覚が大切。織っている途中、帯の上にそっと手を置いてね、そこから伝わってくるものを感じとる。いつもと違うなあと感じたら、経糸が1本、切れとったりしてね。何かあった時に早く調整するためにも、職人たちはみんな感覚が育っていくんやないかな。

職人が動かして、
はじめて機械は動くもの

仕事をしながら特に集中力が高まっている時間帯は11時〜12時くらいかなあ。朝来て、仕事に取りかかって、「昼前にはここまで終わらせんと!」って自分のなかで決めているからね。退社時間がせまってきた夕方あたりも気合の入っとる時間やね。

機械も人間と一緒と思うよ。朝、スイッチを入れてすぐの動き始めと、昼前では様子が違うもん。昼前には、機械もここまで終わらせる!といわんばかりに頑張りだす感じがする。人間から見ても「おお、今日は盛り上がってくれとるねえ」と思う日もあるしね。

機械といってもね、勝手に動いているわけじゃない。職人が動かしているんよね。機械もそれに応じて動いてくれるもの。だから職人が、機械のことを考えて、油を差したり手入れをしたりすれば、気持ちよく動いてくれる。逆に油も差さなかったら、「きついからもう動きたくないよ」と音を上げるやろ。

糸の調子や帯との相性も考えて、職人が機械をうまく動かしてやれば、より美しい帯が織れると思うよ。機械はただものを言わんだけ。たまにはキーキー言うけどね。そこも人間といっしょかあ(笑)。

松尾信好
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いろんな人やものから
刺激やひらめきをいただく

織りよって特に好きなのは、「絽」「紗」「羅」かな。「もじり織り」の技法を取り入れた夏帯やね。新しいデザインを考える時は、近頃どんなものが人気なのかを若い社員に聞いて参考にすることもある。女性社員にもキレイなものとか、流行っているものがあったら教えてとお願いしている。

アートやインテリアの雑誌からひらめく時もあるんですよ。最近はね、北欧の照明機器を見ていたらシェードがおもしろい形だったから、帯でも表現できんやろうか?と挑戦してね。ずっと工場におって街に出かけるわけでもないけれど、新しいデザインを取り入れるのは好きですよ。

今、図案やデザインを意匠に落とし込むのはパソコンでできるし、作業の速度もとても早い。でも織物の世界でパソコンがつくるのは平面までなんよ。そこから先、糸をどう組んでいくかを考えるのは職人で、組み方によっては仕上がりがものすごく変わる。

糸の組み方っていうのはね、「平」「綾」「繻子」の3つしかないわけ。その3つをいかに組み合わせるかが大事なんです。組み合わせは無限にあるから、図案と組織をみながら仕上がりを想定して、糸を仕掛けていく。表面に見えない糸のことも考えながらね。

松尾信好
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品質を絶対に落とさないのが
西村織物のものづくり

西村織物の帯が長年皆さんに愛されているのは、まず絹糸の品質がいいこと。絹糸は光沢も肝心なんだけど、職人としては糸一本一本の細さが揃っていて、でこぼこがない真っ直ぐな糸が美しく織れるからいい。でも絹糸は天然のものだから完璧に均一になるのは難しい。だからこそ品質が揃っている糸が評価されるんです。

そんな絹糸を筬(おさ ※経糸を整えるのに使う部品)の密度を上げて織っているのも、知ってもらえるとうれしいね。高品質の糸を惜しみなく使っているから、帯地の目が詰まっとるでしょう。特に平織りの帯は見比べるとよう分かるよ。自慢をしているわけじゃあないんやけど、私たちの帯は、何回か締めただけでベラベラになってしまうことは絶対ないよ。何があっても品質を落とさない。それが西村織物のものづくりやね。

これからの博多織は帯だけじゃなく、インテリアや建築の材料として求められるようになってくれると期待しているんです。今、日本酒も海外に売り出して、日本人以外の人にも飲んでもらおうとしているでしょう。それと同じような感覚で博多織も世界に広まってほしいかな。

西村織物の今の社長はまだ若いしね、50年、100年と続くようがんばってもらいたい。着物は日本の民族衣装だから、着物があるかぎり帯は必要でしょうし。日本文化を大切にしていきたいしね。最近ほら、小学生が卒業式で羽織袴を着るのが流行っているんでしょう?昔は大学の卒業式だったけど、小学生とはたいしたもんやね。これをきっかけに和装というものが見直されればいいなとつくづく思ったよ。

私は身体が続く限り西村織物で働きたいって、社長に伝えているんです。喜んでくれるお客様もいるし、これからの博多織も見てみたいし。いつか退職しても、たまには機織りの音を聞きに来たいね。「邪魔やろばってん、よかですか?」ってもうすでに頼んでいますよ(笑)。

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意匠・織手松尾 信好

意匠部門(平成9年認定)・製織部門(平成16年認定)

1946年、大分生まれ。集団就職で大阪の製造業を経験。17歳で西村織物に入社。3年間の修行を経て製織を始め、意匠も自ら学んで手がけるように。50年以上作り続けても、できあがった帯に満足したことはまだ一度もないと言う。夏物の「紗」「羅」を得意とする。毎年新しいものを作り出したいと意欲的。