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吉田香織

伝統工芸士インタビュー

自分で購入してもいいと思える
品質の帯しか織らない

織手 吉田 香織

帯を織ることへの責任感は人一倍。歯切れよく、さっぱりした語り口のなかに、手にしてくださるお客様へ最高の帯をお渡ししたいという気持ちがあふれています。経験を重ねてもいい意味で慣れることなく、初心のままに織り続けている職人です。

吉田香織
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驚くほど細い糸を、
自分が織ることになるなんて

学生時代、関西の短大で織物と版画を学んでいました。卒業後は手織りの工房で少し働いた後、当時八女にあった西村織物の工場に入ったんですよ。きっかけは一緒にハローワークへ行った友達が「この求人、あんたにぴったりやないね!」とすすめてくれたこと。実家からも車で通いやすいしいいかもねと軽い気持ちで応募したんです。入社が1997年だからかれこれ30年近くですかね。うわあ、そんなに経ったかなあ。

西村織物に入ってびっくりしたのは、博多織になる絹糸の細さです。学生時代に手機織りで使っていた糸は太さが1mmくらいでしたから。それでも私たち学生は「細すぎる!」って先生に文句を言っていました。先生は「1mmの糸なんて、着物の反物を織る糸に比べたらロープみたいなもんなのよ」とおっしゃった。ほんとですよね。

またある日、教室の片隅にグシャグシャと絡まった糸が置いてあったんです。とても細くて絶対に織れそうにない。また先生に何に使う糸なのか質問すると「それは博多織の糸よ」。まさか今、あの細い糸を自分が織るようになるとはねえ。全く想像していませんでした。

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機械織りといっても大切なのは人で、
人の気分も織りに出る

私が西村織物に入社した当時はまだのんびりしていた時代だったんでしょうね。最初の半年くらいはベテランさんがついて、みっちりと教えてもらえていました。初めて機を動かす時は怖かったなあ。ガシャンガシャンと音もすごいですしね。

最初に佐賀錦を織った時は上手く織れなくて、そんな自分にイライラし、怒って帰ったこともあります。ああ、もう今日はダメだ。やめた!ってね。当時の工場にはちらほらそんな人がいたものですよ。職人がそんな気分ではいい織りができないですから。ちなみに佐賀錦は経糸が箔の糸なんです。箔の糸は特殊で、普通の糸と同様に織ると糸がくるんっと引っくり返るんです。いろいろな人にアドバイスをもらい試行錯誤しましたが、コツが分かってからは逆に織りやすい帯になりました。

帯を織っている最中、いちばん気を配っているのは経糸の糸切れと緯糸の乱れですね。糸切れの原因は糸自体が弱くて切れやすい、経糸を張る力が合ってない、緯糸を通すシャットルにささくれがあり糸に当たっているなど様々です。そのほかにも原因はたくさんあって、それを発見するのは結局のところ、人です。糸切れなく美しい帯が織れるかどうかは、人にかかっていますね。

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自分で織った「一本独鈷」の帯、
締め心地は最高すぎた

どんな帯が好きかと聞かれたら、平地の帯と答えます。西村織物に入って最初に織ったのも平地の小袋の帯だったかな。博多織にしかない帯ですから特別な存在ですよね。織るのも平地が好きだけれど、緯糸をしょっちゅう入れ替える手間があって、忙しいっちゃ忙しい。また柄がないとアラが目立ちますから、ごまかしのきかない難しさもあります。

平地の帯の真ん中に大きな献上柄が入った「一本独鈷」という帯は、シンプルで特に格好良いんですよ。私が伝統工芸士になった時は、自分で織ったその帯を締めて認定証授与式に出席しました。黒の平地に、白の献上柄というデザインです。帯に合わせて古着屋さんで着物を探し、くすんだ紫色の紬を選びました。

授与式の日の着付けは花嫁さんの着付けもできる美容師にお願いしたのですが、帯をきっちり締めてくれましてね。そしたら1日中、全く着崩れがなかったですよ。車に乗ったりもしたけれど、朝締めたままの形でした。自分で気合いを入れて織った帯だから、いやあすごい、全然緩まんぞと、この時ばかりは自画自賛です。

柄物の帯については、やっぱり自分が気に入っている柄を織ってみたいなという気持ちがあります。なぜか好きな柄の帯を織ると仕上がりもいいんですよ。西村織物のデザイナー・一ノ宮さんがデザインするRラインってあるでしょう。そのドクロの帯(紋八寸 名古屋帯 Asian 花こうべ)が可愛くて、好きなんです。だから私んとこで織るよって一ノ宮さんに伝えていたんやけど、実際は別の帯担当になってしまって。もう、織ってみたかったとに!って、思わず一ノ宮さんにグーでパンチ。その後、覚えていてくれたのか、私が織るようになりましたけど(笑)。

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絹糸を大切にする。それは絹織物の
職人としてゆずれないこと

絹糸ってどうやってできるか知っていますか? お蚕さんがつくった繭を熱湯で茹でて、糸を引き出していくんですよね。お蚕さんは人間が絹糸をつくるために開発した蛾の幼虫で、一生懸命小さな口から糸を吐き、繭をつくり、繭を傷つけないよう外に出されることもなく、大人になる一歩手前で茹でられて死んでいく。

絹糸はその子らの命をもらってできた糸なのです。ですから「一筋の糸の命を大切に」という言葉があるように、どうしても出てしまう切れ端の糸も何かに使うなど、できる限り大切にしたいです。西村織物でもオリジナルブランドのObitOで、絹糸をアップサイクルしたシルクニットをつくっています。

そして自分の織る帯は、自分でお金を払って買ってもいいくらいの気持ちで織っています。私は基本的にケチなんですよ。だから何にしたって、いい加減な人がつくったいい加減な商品にお金を払いたくない。自分の帯に対してもその意識がありますね。博多織ともなると値段が張りますし、どうしても欲しくてローンを組んで購入されるお客様もいるんです。そんな背景も相まって、自腹で買うならこの帯を選ぶと自分で言えるほどの品質で織りたいんです。職人として長いこと帯を織っていますが、変に慣れることなく、いつもまっさらな気持ちで向き合いたいですね。

吉田香織
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ものづくりの人だった先代との
懐かしい思い出もたくさん

織り手のいちばんの喜びって、やはり綺麗に織り上げた瞬間ですよ。織機からおろした時に、ああ綺麗ねえ!と自分でも目を見張るような。そんな時はうれしいものです。

私に帯の美しさの見定め方を教えてくれたのは、亡くなられた先代の社長です。私が入社した時代にはご自分でも帯を織られていて、誰よりもこだわりがあり、ものづくりに対して厳しかった方です。職人たちを本気で叱っている時は目が三角になっていたよねと、今でもベテランの職人さんたちと思い出しています。

先代は毎朝、前日に織り上がった帯を全部並べて、一本一本確認していくんです。それをする場所が工場の入口付近だから、避けて通れないし、すぐに呼び出される。ちょっと来てと言われたら、異常な緊張感が走りました(笑)。「ほら、ここに小さなシワができとる」「ミミが綺麗に揃っとらん」と細かなことを毎日のように指摘され、織ることへの姿勢が身についたと思っています。いちばん言われていたのが「風合いがなっとらん」でしょうか。風合いって表現するのが難しいですが、素敵な帯はやはり風合いが格別ですもんね。

先代は男帯のくけ帯にも強いこだわりがありましてね。地はしっかり固めに、でも柄はふわっと乗せるように織らないかんと言われ、これがまた難しい。さらに納品が遅れないよう1日5本は織るようにと釘を刺され、くけ帯のオーダーが入るシーズンはちょっと憂鬱だったのを覚えています。

でもある日、TVを見ていると、落語家の林家木久蔵さん(現・木久翁さん)が、おそらく私が織ったくけ帯を締めていらっしゃって「この帯、幅がせまめだから腰から下が長くなって、脚も長く見えるから好き」とコメントしていらしたんです。私も落語が好きだからその言葉がうれしくて。「くけ帯の大変さは、木久ちゃんのおかげで乗り越えられた!」と言っていましたね。

最近の西村織物の帯は、洋風のもの、明るい色のものが増えてきました。新しいショップ兼ギャラリーのORIBAもできました。その一方で織機をはじめとする備品、織りの道具、技術、設備など古いものもたくさん残っています。それらのその魅力を再確認することで、たくさんの方に新しいもの・古いもの両方の良さに気づいてもらえたらと思っています。

吉田香織
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織手吉田 香織

整織部門(令和元年認定)

福岡・柳川出身。美術デザイン学校を卒業後、1998年、西村織物に入社。伝統工芸士授与式には自身が織った帯を締めて出席。思い入れのある帯は平地。柄がなく、ごまかしがきかないため、いつも以上の真剣さで織機に向かう。製織を始めたばかりの頃は佐賀錦に苦労したとのこと。ねこが好き。