制限のある中で作っていくところに、織物の美がある。
——ずっと意匠の仕事をされてきたんですか?
そうです。太宰府にある筑陽学園デザイン科を出て、その頃浮世絵に興味があったものですから、織物の会社に入社して。ずっとこの世界でやってきました。帯や着物を自分でデザインできると思って入社したのですが、その織元ではデザインと意匠が分業されていて、図案家さんが描いた絵を織物の意匠に落とし込む作業が私の仕事でした。自分で考えられないのか、とちょっとがっかりしましたし、博多織と言いながら図案は京都の人に頼んだりしていて、そこは疑問に思っていました。
だんだん図案家さんも跡継ぎがいなくて高齢化していき、世の中のニーズと合わなくなっているのを感じて、せっかくデザインを学んだのだしと思って15年前くらいから少しずつ自分で描き始めたんです。最初は、図案家さんとの長年の関係性もあるので、お前勝手なことしやがって、という空気になってしまったんですけど、徐々に認めてもらえるようになりました。その後、西村社長に声をかけてもらって、3年ほど前に西村織物に入社しました。
——西村社長をはじめ、社内の皆さんが一ノ宮さんのことをすごく頼りにしておられるのを感じます。デザインはどうやって考えているんですか?
だんだんネタが尽きてくるので(笑)、常に色々なところにアンテナをはっています。着物雑誌だけでなく、ファッション誌とか美術書を読んだり、美術館に行ったり……図書館や本屋にはよく行きます。あとはラジオが好きでFMをよくきくので、ラジオの話題からヒントを得ることもけっこうあります。クラシック番組をきいて、楽器をモチーフにした帯を作ってみたり。
——デザインを作る時、どのようなことを意識していますか?
着物ですから、布にプリントする衣服とは違って織物で表現する難しさがあります。絵で描いたものがそのまま織物になってくれるわけではないので、今でも「こんなはずじゃ……」と思う場面はしょっちゅうあります。先染めの糸を組み合わせるので、図案を作る時も限られた色数で考えないといけません。色数を増やせばその分コストがかかってしまうので。でも、こういった制限のある中で作っていくところに、織物の美があると思っています。
デザインから製造、営業まで一貫したものづくりが西村織物の強み。
——1つの帯ができるまでに、長いものでどれくらいの時間がかかりますか?
新しい銘柄を作る時はたいへんです。絵柄だけでなく、使う糸や織りの組織から考えないといけないので、失敗と再挑戦を何度もくり返して商品になるまで1年くらいかかったものもあります。例えば糸を浮かす間隔の制限や複数の組織点の組み合わせで割り切れる数値の中での意匠表現など、いろんな制約があって自由にはできないので、本当に難しいんです。織ってみると思ったようにいかなくてですね……意匠を見直して組み方を変えたり、製造現場の作本さんや松尾さんにも相談させてもらいながら細かな調整を重ねます。西村織物では図案と意匠を一貫して行い、製造現場とも直結しているので、皆で試行錯誤することができます。だから、分業体制ではおそらく実現できないようなデザインでも形にすることができるんです。営業の社員を通じてお客様の声も聞こえてきますし、他ではできない魅力的なものづくりができていると思います。
——営業や製造の方とはよく話されるんですか?
営業から「こんなの作ってよ」と言われることも多いですし、商品企画会議もいっしょにやっています。やっぱり製造現場でしかわからないこともたくさんあるので、現場の人にも教えてもらいながら一緒に考えていきます。私自身も、前の会社では数年間かけて整経や糸繰り、製織、仕上げまで一通り経験しました。やっていないのは染色くらいです。当時は「意匠で入ったのになんでこんなことしとるんやろう……もう辞めようかな」と思ったこともありましたが、あの経験が今に活きていると思います。
愚直に正直に良いものを作っています。それが、帯を締めた時にわかる。
——西村織物の商品の魅力は?
自社のことをこんな風に言うのもなんですが、企画から製造部まで、皆で愚直で馬鹿正直なものづくりをしていてですね……それが品質に表れていると思います。お締めになったお客様から「いいもの作ってるね」と言っていただけます。私も着物を着ることがあるのですが、締めてみると違いを実感しますね。ここで働く前の話ですが、初めて西村織物の帯を締めた時は驚きました。「なんだこれ!」と思うくらい、それまで使っていた帯とは感触が違ったんです。地方にある織元でありながら京都や東京、全国のコアなお客様にご愛用いただいていることが、品質を証明してくれていると思います。
——お仕事をされる中で一番嬉しい時は?
デザインから製織まであれこれ考えながら作っていって、思った以上によくできていた時は嬉しいです。でもやっぱり、お客様に「こんなの欲しかった」と喜んでいただけて、買っていただけることが一番の励みになります。織物は一人じゃできないんです。糸を染める人、糸繰りをする人、整経の人……と何人もの人が関わってチームプレーで作っていくものなので。独立して一人で仕事をしていた時期もあるのですが、3年前に西村織物に来て、組織で取り組む方がものづくりに心から打ち込めると感じています。
毎年100柄くらい、新しいデザインを創出しています。
——思っていた以上に良くできた、ということもあるんですね。
ある程度シュミレーションはできるんですけど、影が出たり起伏がついたりするのと、絹は光の当たり具合によって表情も変わります。織物になった姿を見ないと出来上がりが確認できない。そこが難しいところでもあり、魅力でもあります。ほんの少しのことで変わるんですよ。3本合わせていた糸を1本減らすだけで上手く織れることもありますし、逆も然りで。自分の頭だけで考えていてはできないので、いつもそれで苦悩しています。
——新しいデザインは1年にどのくらい出されるんですか?
昔は1つの柄を数百本作っても売れたのですが、今は多品種小ロットの生産なので、現在西村織物では1年に100柄くらいのペースで新しい柄を創出しています。アイディアが行き詰まることもありますし、葛藤の連続で頭がおかしくなりそうになりながら、それを乗り越えないと新しいものは生み出せないですね。
——まさに生みの苦しみですね。最後に、これからどんな会社になっていきたいですか?
今まさに制作中なのですが、着物の帯だけでなく、枠にとらわれずにインテリアなど新しい分野で織物の可能性を拡げて行きたいと思います。
——ありがとうございました。
数日に渡って取材・撮影をする中で、一ノ宮さんのエピソードを様々なところで耳にしました。
例えば、金糸を使った華やかな佐賀錦のお話。佐賀錦は一ノ宮さんが入社するまで、手織りでしか作っていませんでした。一ノ宮さんが中心となって意匠や織機の調整を行い、佐賀錦を機械でも織れるようになると、全国の呉服屋さんから注文が殺到。製造から出荷まで社員総出で進めてもどんどん伝票が溜まっていき、しばらく社内は大騒ぎだったそうです。
800種類あるという微妙に色合いの異なる絹糸を整理して番号をふり、管理できるようにしたのも一ノ宮さんだとか。
インタビューの際には、緊張した面持ちで椅子に座られると、この日のためにご自身の経歴をまとめた1枚の紙をすっと差し出してくださいました。控えめで実直な印象とは裏腹に、斬新かつ緻密なデザインで業界を牽引している一ノ宮さん。今後のご活躍が楽しみです。