ものづくり

伝統工芸士インタビュー│製織部門│作本 義一

2018/07/23

 

小さい頃からものづくりが好きで、この世界に入りました。

——ご出身は?

佐賀県の呼子ってご存知ですか?そこのイカ漁師の息子です。父は1年中イカ釣ってますんで。最近はもう歳なんで近場しか行ってないですけどね。イカにも色々あって、アオリイカは釣り竿で1本釣りです。兄がいるんで、おまえはどこでもいいけん出ていけって言われてました。

——なぜこの業界に入られたんですか?

高校卒業して、まずは博多にある博多織の卸屋さんに入社して京都勤務になりました。その時は帯を売る側でした。辞めた理由も色々あったんですけど、私、小さい頃からものづくりが好きで。昔、テレビって、ブラウン管の後ろあたりかな、磁石がついてたんですよ。うちは離島だったもんで、けっこう漂流物が流れてくるんです。浜辺で色々探して、機械をばらして遊んでました。やっぱり作る方がいいなってことで、卸屋時代から前社長と顔見知りだったこともあって、西村織物で働くことになりました。

——売る側から作る側へ方向転換されたのは、何歳くらいの時ですか?

22、23歳ですね。商業高校を出たもんで、機械とか糸とか扱ってませんし、最初は全然わかりません。どちらかというと家庭科の刺繍とかは好きやったもんで、抵抗はなかったですけどね。そこから保全と織りを担当しています。50歳になったので、もうすぐ30年ですか。保全というのは機械修理ですね。好きなんです。

 

同じ機械、同じ仕掛けで織っても、職人によって仕上がりに違いが出ます。

——製織の難しさはどんなところにありますか?

やっぱり、風合い作り。ちょっとした調整で変わってしまうんです。例えば、緯糸を通した後に筬(おさ)をパタンって打ちますよね、そのタイミングだけで帯の表面にギザができたり、さざ波ができたり。色々な要因が組み合わさって風合いが変わってくるので、どう調整すればいいのかわからないこともよくあります。他社の人や京都の人に相談することもあります。ひとりで考えてわからんよりも、人に聞いて直せたら、それがまた自分の身にもなるので。

——風合いは、帯によって求められるものが変わってくるのですか?一律で良い悪いがあるのでしょうか?

帯によって違います。博多織ならギュッと締まった絹鳴りがするような帯にしないといかんですし、西陣織みたいに緯糸で柄を出すようなものはしなやかさが大事になります。博多織は平織という織り方で、1本1本経糸を上げ下げして織っていくので密度が高いんですよ。西陣織の紋織は、ある程度経糸を飛ばして織っていくので、優しくやわらかい風合いになる。くたんくたんでは駄目ですけどね。そんな風に、ものによって一つひとつ出したい風合いは違ってきます。

——上手い人と下手な人は何が違いますか?

手さばきっていうのかな。糸の結び方であったり、作業の効率ですね。同じことをするにしても、上手い人は速いしきれい。結び目がきれいで正確だと、帯がきれいになります。手の粗い人で結び目が長いと、織り込んだ時にちょっとおかしくなっちゃう。ミッションの車に乗ったことありますか?ミッションの車は、クラッチが運転する人によって深くなったり浅くなったりするんですけど、織機も同じで、だんだん職人の癖で機械が変わっていくんです。逆に機械に人が合わせていくことも必要です。だから、同じ機械、同じ仕掛けで用意しても、織る職人によってできあがる帯は若干違います。不思議なもんですよ。

 

企画・意匠の思いと、自分が作り上げたものが一致した時は楽しいです。

——製織の仕事のおもしろさはどんなところにありますか?

企画の人がこういうものを作ろうと言い出して、意匠ができ、そこから私たちが仕掛けとかをしていくじゃないですか。企画をする社長や一ノ宮次長の思いと自分の思いが合致した時ですね。色々調整して作った帯が彼らの思っていたものと一致したら、それはなかなか楽しいですよ。まぁ、滅多にないんですけどね。その都度意見を聞きながら進めても、一回で作ろうとしたものが出来ることはまずないんですよ。それは難しい。そこから、風合いや見た目の調整を加えていきます。

——調整するには、糸の配置を変えるんですか?

配置を変えるのは大変なので、糸の上げ下げで組み方を変えるとか。それだけで表情が変わってきますね。嬉しかったことといえば、もうひとつ。何十年も前のことですが、入社してはじめて帯を1本織った時はなんとも言えず嬉しかったですね。ただ、それはまぁ正反にはならんかったけどね。

——逆に、辛い時、悔しい時はどんな時ですか?

織機の調整がうまくいかない時。どう動かしても、全然直らん時があるんです。原因がわからんから違うところをいじってしまって、更にひどくなってしまった上に、最初に戻そうと思っても戻らん時もありました。そういう、自分が原因を探しきれん時は悔しいですよね。思うようにならんですから。

——経験豊富な作本さんでも、そういうことがあるんですね。

同じような故障でも原因が全然違うことがありますんで。同じところの糸が切れたからといって、前と同じところを直したらいいってのは違うんですよね。

——機械のメンテナンスも、業者さんに頼むのではなく皆さんでされるんですか?

メンテナンスに関しては、基本的には自分たちでやりますね。手に負えん時や、コンピュータ部品は業者に送りますけど。うちで使っている織機はどれももう製造中止になっているので、新しい機械に買い換えることはできないわけです。きちんと手入れをすればいつまででも使えると言われているので、わからんかったら色んな人に聞きながら大事に使っていかなですね。

——織る時、図柄や組織によってテンションが変わったりすることはありますか?

それはないですね。きちんと正反になるように、って、それだけを思いながらやってます。今は工場長という立場になって、織り子さんたちに「こんなんじゃいかんよ」と言わないといけないので、たまに忙しくて織機につく時には自分がそうならんように一層気をつけてます。失敗をしない人間はいませんから、私もB品を出すこともあるんですけどね。

 

一人ひとり違う考えを持っていても、同じ方向を向いて会社を良くしていけるように。

——研修で他社の工場など色々と見学に行ったと伺いました。いかがでしたか?

やっぱり初めて行かせてもらうと、おもしろいことばっかりですよね。去年トヨタの博物館にも初めて行かせていただきました。トヨタ自動車の前身は、トヨタ自動織機だったんですよ。うちは絹を扱うので、綿に特化したトヨタの織機じゃなくて金沢の会社の織機を使ってるんですけど。この前は丹後ちりめんが有名な丹後に行きました。道具の管理であったり、同じ織機でも担当の付け方がうちとは違ったりして、そんな風にやってるんだなって、勉強になりますよね。

——他を見て改めて、西村織物のものづくりをどう思いましたか?

いつも他社さんのを触ると思うんですけど、やっぱり風合いとか手触りとか違うなと思います。改めて、先人から受け継いだものを守ってかないかんなと思いました。一朝一夕にできるもんではないですし。そこから一歩でも進めてければな、と思います。

——これから西村織物をどんな会社にしていきたいですか?

十人十色で、一人ひとりの違う考えがあるけど、同じ方向を向いときさえすれば、より良くなっていくと思ってるんですけどね。そうなるように、仕向けていくのが自分の役割かなぁと思っています。以前より色々と意見も出るようになってきてますし、少しずついい方に向かっていきたいと思っています。

製織部門伝統工芸士 作本 義一
昭和42年、佐賀生まれ。父はイカ漁師。京都で帯の卸業に従事した後、22歳で西村織物に入社。子どもの頃から機械いじりが好きで、浜辺に流れ着いたテレビなどを解体していた。織機は現在製造中止のものが多いため、工場長作本のきめ細やかな修理、メンテナンスが欠かせない。

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