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大賀学

伝統工芸士インタビュー

絹糸の染め方は、
データ化できないからこそ面白い

染色 大賀 学

西村織物を訪れるとすぐ左手にある工房で、ひとりもくもくと絹糸を染める姿が印象的。
30年以上の経験から導き出される感覚で、西村織物の“色”を生み出し続ける存在です。

大賀学
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やはり染色工場の息子、
染色に取り組むとしっくりときた

僕の実家は染色工場でした。職人さんが5〜6人いて、父が中心となって営んでいました。幼い頃は、染めた絹糸を配達する母について行き、織屋さんで遊んでいた記憶もあります。家にも帯がたくさんあったし、織物はいつも身近な存在でしたね。当時から5〜6軒の織屋さんとお付き合いがあり、そのなかでも西村織物がメインの取引先でした。

実は、最初から染色の職人になるつもりではありませんでした。高校時代はバブル期で日本の景気が良かったこともあり、染色は3K(きつい・汚い・危険)の仕事のように思えてしまって。かといって染色がいやだというわけでもないのですが、大学進学後はひとまず一般企業に就職しました。

その企業で配属されたのは営業職でした。でもなんか違うな、これじゃないなと。そんなこんなで結局2年で辞めてしまったんです。さて、この後、何をしようかと考えていたら父親が「染色をやってみらんね?」と声をかけてくれました。どうやら西村織物の先代の社長が「息子に跡を継がせたらいいやないか」と勧めてくださったようです。先代としても染色を頼んでいたうちの工場が父親の代でなくなったら困ると思ってくれていたのかもしれません。

その後、京都に行き、昼間は染物屋で働いて、夜は染織の学校に通いました。とりあえずやってみるかと始めた染色ですが、いざ取り組んでみると意外と楽しかったですね。子どもの頃からずっと見てきた仕事だし、やっぱり向いているのかしっくりときました。正直、営業の仕事は全然向いていなくて、やりたくないと思っていたほどでしたからね。

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西村織物の先代のこだわりに、
鍛錬された日々

京都で2年間過ごして、その後、実家の染色工場で働き始めたところ、1年程で急に父親が亡くなってしまったんです。その時、僕はまだ20代後半。経営の仕方も全く分かっていなかったので、手探りでできることをやるしかないといった状況でした。

当時、西村織物の先代の社長には鍛えられましたねえ。先代は職人さんで色へのこだわりがとにかく凄かった。毎朝、染め終わった絹糸を10色ぐらい携えて西村織物へ納品し、それを先代にチェックしてもらうのが日課でした。すると半分くらいの糸に「この色じゃない」「頼んだのと違うじゃないか」と合格が出ず、持ち帰ったこともしょっちゅう。持ち帰ったら今度は染色の職人さんに「また染め直し? ちゃんと染まっとるよね?」と叱られて。板挟みの日々でした。

もちろん自分では完璧に近いぐらいの仕上がりだと思って納品に行っているのですが、先代のイメージとはずれている。先代と同じような感覚にならなきゃいけないということですが、それは至難の技です。なので当時、西村織物の糸を染色できればどこででも通用すると言われていました。そのぐらい厳しさがあったんです。

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そうやって西村織物ともお付き合いをしながら染色工場を営んでいましたが、コロナ禍で仕事がストップした影響もあり、閉業することになりました。これから帯の生産量が大幅に増えることが見込めないなか、工場の建て替え時期も迫っており、さすがにその建築費を出す余力がなかったからです。さて、次はどうするかと廃業の手続きを進めていたところ、今の社長が西村織物にある工房を使って染色をやってくれないか?と声をかけてくださったのです。

新卒で入社した就職先をやめた時と同じく、次のことは何も決めていなかったし、せっかくいただいたお話なので入社させてもらいました。西村織物の職人さんたちとは以前より毎日のように顔を合わせていた間柄だったので、その点でも安心感はありましたね。

デザイナーや職人さんからすると、僕の入社で1カセ(一括りの糸の単位)から気兼ねなく染色を頼めるようになったので、以前より自由度が広がったのではないでしょうか。僕自身も経営の算段をしたり、帳簿をつけたりするのをめんどうに感じていた部分もあったので、西村織物で染色に向き合える今が性に合っている気がしています。

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すべては感覚の世界。
敵は天気と我がメンタル

染色でいちばん難しくもあり、いちばん楽しくもあるのは、色をつくり出すことです。基本的には赤・青・黄・黒の4色の染料のかけ合わせで、印刷と同じ仕組みです。ただ染料の量をデータ化できる世界じゃないんですよね。染料を青1g、黄色2gと量るわけでなく、ちょっとずつ自分の感覚で足しながら染めていきます。染める絹糸は天然のものですから、毎回少しずつ品質が違い、データを当てはめられないのです。自分の感覚だけで染める。それが難しいけれど面白いですね。

作業の流れとしては、タンクにお湯を沸かし、その中に少しずつ染料を入れていきます。染料はほんの耳かき1杯分くらいの時もあります。それから色味を確かめながら、だんだん濃ゆくしていきます。手作業で一度に染める量は少ないですよ。今日染めたのは10カセほど。1カセだけの時もあります。

デザイナーや職人さんが染色をオーダーする時は、見本の糸を持ってきて「この色に染めて」といった具合です。もしくは「この色を1割くらい濃くして」「逆に2割薄くして」「少しだけ赤を足して」といった感じで、実に感覚的なんですよね。もうちょっとかな、濃ゆすぎたかなと繰り返し色を確認しながら染める作業は飽きません。だから30年以上染色を続けてこられたのかもしれません。

ちなみに西村織物で使っている糸にブラタクシルクという世界最高級の絹糸がありますが、とても染めやすいんです。発色も美しくて作業がとてもスムーズにいきます。染色も織りも一緒で高品質な糸ほど扱いやすいと言われています。西村織物で扱う絹糸はブラタクシルク以外もかなり高品質なので、染色をするには恵まれた環境かもしれません。

一方で、よく困っているのは天気の変化ですね。例えば、いちばん見やすいのは薄曇りの日。雲ひとつない晴天の日は、色が飛んでしまって正確に見えないです。朝と夕方も光の色の種類が異なるので、糸の色まで違って見えてしまいます。ならば自然光の入らない部屋にLEDライトをつけて確認すればいいのでは?と言われるのですが、それもまた感覚が狂います。そこらへんは経験をもとに、感覚で合わせていくしかありません。

もうひとつ色を狂わされるのは、自分の気分でしょうか。イライラしてる時は不思議と染料が多めになってしまう。そしてどんどん濃くなって、求めている色と離れてしまいます。気分を整えるのも大切ですね。また、朝一発目の染色がうまくいくのが何よりいいですね。その日一日、いい染色ができるような確信が持てます。なんとなくですが。

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染めた糸のたどりついた先が
見られるのは嬉しい

2021年に私が入社してからも西村織物は変わりました。若い職人さんが増えましたし、社長も新しいことにいろいろと挑戦されている。ザ・リッツ・カールトン福岡の壁紙になった織物を見学に行った時は、このような場所に配されているのが、本当に自分が染めた糸でつくった織物なのかと不思議な気分でした。いい刺激にもなりました。自分の染めた糸がどう織られてどこに出荷されたのかは、染色工場を営んでいた頃には知るすべがありませんでした。商品との距離が近くなったのが嬉しいことですね。

2024年、ショップ兼ギャラリーのORIBAができて、工場に訪問される方も増えるでしょう。染色の工房は西村織物の敷地に入ってすぐの場所にあります。ガラス越しに見える染めたての絹糸を前より多くの方に眺めてもらえると思います。

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染色大賀 学

染色部門(令和4年認定)

大学卒業後、京都の染物屋で働きながら夜間学校に通い、染色を学ぶ。家業の染工場を継いだ後、2021年の廃業を機に、長年の取引先であった西村織物に入社。染色歴は約30年。辞めたいと思ったことはない。工房でひとり作業に向かう時間が好き。趣味はロック音楽を聴くこと、ゆっくり眠ること。