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作本義一

伝統工芸士インタビュー

織って、修理して、管理して
三刀流の工場長

工場長 作本 義一

博多織・製織部門の伝統工芸士として、2008年に認定を受けた作本 義一。入社以来30年以上、真摯に帯と向き合ってきました。現在は西村織物の工場長として生産管理を行いながら、織機の保全、そして自ら手を動かしての製織と3つの役割を担っています。

作本義一
作本義一

佐賀・唐津の島育ち。
幼い頃から機械が好きでした

佐賀県唐津市にある加唐島(かからしま)で育ちました。イカの活き造りで有名な呼子の近くにありまして、父はイカ漁師でした。今はいとこの子どもたちが、セルフィッシュというカフェをやっていますよ。

佐賀県最北端の島ですから、いろいろな漂流物が流れついてくるんですよね。私は小さい頃からなぜか機械に興味がありまして、浜辺に行ってはテレビのブラウン管やラジオを拾っていましたね。拾った機械は直すのではなくて、壊すの専門です。中身がどうなっているのか知るのが楽しかったんですよね。こんなシンプルな構造で動くんだ!とびっくりすることも多かった。今でも不要な機械があれば、バラして遊んでいます。

ですから織機の保全の仕事は性に合っているんでしょうね。それなのにどうして工業高校ではなくて、商業高校に行ってしまったんだろう?と、自分でも不思議なのですが(笑)。

生まれて初めて織り上げた帯が
いちばんの感動

高校卒業後は福岡に本社がある博多織の卸屋さんに入社。京都勤務になりました。家庭科の刺繍なども得意だったので、織物の世界に入ることに抵抗はなかったですね。京都では営業をしていましたが23,4歳の頃に転職して、ご縁があった西村織物に入社。織りと保全をして30年以上になりました。

織物の世界に入った後、いまだに一番の感動として覚えているのは、西村織物で初めて織った帯が完成した瞬間です。上手な職人さんなら1日2本織れるような帯を、何日もかけて織ったんですよね。

帯を織るときは織機の性質上、裏面が表側に見えるんです。ですから裏側にある帯の表面を鏡でうつして、確認しながら織るんです。間違っていないか不安で、何度も確認して少しずつ織る…の繰り返しだったので、感動も倍増したんでしょうね。あれを超える感動はまだないかなあ。

作本義一
作本義一
作本義一

織機はきちんと使えば
70年、80年、それ以上働く

博多織の織機は、新しく製造されていません。ですからどこの織元も、現存している織機を大事に使っています。部品も新しくは製造されませんから、在庫をしっかり集めて保管していますよ。平地の織機は造りがあまり複雑ではないので、きちんと手入れをすればいつまででも動くと言われています。

ただ古くから使っていた紋機(もんばた:紋の帯を織る織機)はすでにメーカーもなくなってしまい、部品も見つかりにくくなりました。そこで2023年に京都から4台の紋機を仕入れて、入れ替えをしたんですよ。今、工場の中には28台の織機があり、用途に合わせて動かしています。

昔から使っている平地の織機はすべて私より年上で、60年近く動いています。新しく入れた紋機も30年以上は経っているんじゃないかな。まだまだ頑張ってもらわなくてはいけませんので、保全(手入れや修理)の仕事にも力を入れています。私の仕事量のボリュームとしては、織りと保全の仕事が半分半分くらいでしょうか。

男の職人たちは
何でもできるマルチプレーヤー

西村織物では織機の保全はコンピューターが関わる部分を除き、基本的に自分たちで行っています。力仕事もありますので、私たち2名の男性職人が担当しています。帯を織る前に、仕掛けや糸のつぎ込みをし、ジャガードを設置、そして設置後に試し織りをした上で、女性の織り手さんに渡します。ですから男性は必然的にすべての作業ができるようになってくる。マルチプレーヤーですね。

保全の基本は、常時動いている部分に油を差して、手入れを怠らないこと。それでも梅雨時にはサビが出ることもあります。そんな時は、機械の様子をみながら工場内に風を回してみるなどあれこれ世話を焼きますね。コンピューターを乗せた織機の場合、その部分に油がまわらないよう防護が必要になったり、本当にケースバイケースの対応で繊細にお世話しています。

保全は思い通りにいくものではないんですよね。同じような故障であってもその原因は様々で、日々、あれこれ試行錯誤しながらです。あっちがダメなら、こっちを試してといった感じ。自分たちで分からない時は、京都の織機に詳しい方に相談することもあります。故障の原因は、意外とささいなことだったりするのですが、探し当てるのがとにかく難しい。その分、直ったときには心底よかった〜!と思えます。

織機って、職人のクセで機械の調子が変わっていくんです。ミッションの自動車といっしょですね。だから同じ機械、同じ仕掛けで用意しても、織る職人によってできあがる帯は若干違います。不思議なものですよ。

作本義一
作本義一

いきものの命がつまった
絹糸を無駄にしない

工場長として職人の織り子さんたちによくお伝えしているのは、「絹糸を大切にしてください」ということ。今、為替の影響で絹糸が高騰しているのもありますし、品質のいい絹糸が入手困難な時期もあって非常に苦労しましたから。そして何より、私たちは絹糸がなければ仕事ができない。絹糸に食べさせてもらっています。

しかも絹糸はお蚕さんといういきものが作ってくれるものでしょう。命がつまっていますよね。だから、少しでも無駄にしたくないんです。それでも帯を織っていると両端の糸をどうしても切り落とさなくてはいけない時があります。ですから西村織物の社内から絹糸のアップサイクルのプロジェクト「ObitO」がはじまったのは、とてもうれしいですね。

あとは「同じ間違いをしないでください」ということかな。間違いを繰り返すと、間違えた意味もなくなってしまうではないですか。「でも、間違えなくなるまで、何回も言ってくださいよ〜」なんて言われることもあるんですけれど(笑)、私も何度も同じことをいうのは苦手なのですよね。

作本義一
作本義一

経験値が邪魔することも、
たまにはあります

職人って、今までの経験値で仕事をしているイメージがありますよね。私も30年の経験値に頼ったり、縛られたりで、頭は凝りに凝り固まっている状態です(笑)。でも、一旦その固定観念から離れて「このやり方はどうだろう?」と、違う視点からアプローチすることも大事だと、最近になって痛感しています。

先日、ザ・リッツカールトン福岡の壁紙になる広幅の布を織っていたんです。糸は、初めて扱う綿由来のもので、織り上がると服の裏地のキュプラのような質感です。一方、織機は緯糸をベルトで引っ張って通すタイプのものを使っていたので、いざ織ろうとしたらつるっとした質感の糸が滑ってしまい、スムーズに進まない。途中で緯糸が切れてしまいますし、ヨレも出ていました。

するとある職人が、緯糸の合わせ本数を1本ではなく4本にしてみたらどうだろう?と言ってきたんです。「そんなの、できんめえもん(博多弁:できないだろう)」と思いながら、半信半疑で試してみたらこれがすごく調子がいい。何百メーターという長さのオーダー分をどんどん織れるようになりました。凝り固まらずに発想を自由にして、思いついたら厭わずにやってみる。それでパッと開けることがあるんだなあと実感しましたね。

伝統を守る、伝統をつくる。
その両方に取り組みたい

私たち西村織物が自負しているのは「原料に嘘はついていません」というところ。ブラタクシルクをこれだけ量を扱っている織元さんは、日本に数軒もないでしょう。基本中の基本である「原料の良さ」がお客様に伝わり、長年支持していただけているのではないでしょうか。

そして少々おこがましい言い方になりますが、これまでしてきた日本文化を支えるような取り組み、そしてまったく反対の既成概念を壊すようなアート的な発想の取り組み。その両方を融合させた仕事をすることで、今後、織物の世界に貢献できるのでは?と考えています。伝統的な日本文化に、今までにない新しいものを組み合わせていくこと。そこにも魅力を感じています。

つまり「伝統を守る」ことも大事なのですけれど、「伝統をつくる」ことも大事なのかなと。伝統とひとくくりにしても、長いスパンで考えるとものすごく変化しています。平安時代と令和時代では存在する物も、人々の考え方も、何もかも違いますから。これから織物の世界に飛び込むみなさんには、新しい伝統をつくっていってほしいと願っています。

個人的にはいろいろな素材を使った帯に挑戦したいです。絹糸にはとても細い糸や紬のようにボコボコした質感の糸もありますから。綿、竹や芭蕉の繊維を使った糸、カシミヤなどを織り込んでもおもしろいかもしれません。そのなかでこだわりたいのは天然素材の糸であること。ずっと天然の絹糸を扱ってきた西村織物ですので、そこは大切にしたいです。

できる・できないは別にして、おもしろそうなことがあれば何でも言ってみようという雰囲気が社内にはありますし、少しずつでも前進していけるとよいですね。

作本義一
作本義一
作本義一

工場長作本 義一

製織部門(平成19年認定)

1967年、佐賀生まれ。父はイカ漁師。京都で帯の卸業に従事した後、22歳で西村織物に入社。子どもの頃から機械いじりが好きで、浜辺に流れ着いたテレビなどを解体していた。織機は現在製造中止のものが多いため、工場長のきめ細やかな修理、メンテナンスが欠かせない。字がきれい。